口語訳聖書(振り仮名付き)

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ヘブルびとへの手紙てがみ

第1章    Hb-Audio 

1:1 かみは、むかしは、預言者よげんしゃたちにより、いろいろなときに、いろいろな方法ほうほうで、先祖せんぞたちにかたられたが、

1:2 このおわりのときには、御子みこによって、わたしたちにかたられたのである。かみ御子みこ万物ばんぶつ相続者そうぞくしゃさだめ、また、御子みこによって、もろもろの世界せかい つくられた。

1:3 御子みこかみ栄光えいこうかがやきであり、かみ本質ほんしつしん姿すがたであって、そのちからある言葉ことばをもって万物ばんぶつたもっておられる。そしてつみのきよめのわざをなしえてから、いとたかところにいます大能者たいのうしゃみぎに、につかれたのである。

1:4 御子みこは、そのがれた御使みつかいたちのにまさっているので、かれらよりもすぐれたものとなられた。

1:5 いったい、かみ御使みつかいたちのだれにたいして、

「あなたこそは、わたしのきょう、わたしはあなたをんだ」
い、さらにまた、
「わたしはかれちちとなり、かれはわたしのとなるであろう」
われたことがあるか。

1:6 さらにまた、かみは、その長子ちょうし世界せかいみちびれるにあたって、

かみ御使みつかいたちはことごとく、かれはいすべきである」
われた。

1:7 また、御使みつかいたちについては、

かみは、御使みつかいたちをかぜとし、自分じぶんつかえるものたちをほのおとされる」
われているが、

1:8 御子みこについては、

かみよ、あなたの御座みざは、世々よよかぎりなくつづき、あなたの支配しはいのつえは、公平こうへいのつえである。

1:9 あなたはあいし、不法ふほうにくまれた。それゆえに、かみ、あなたのかみは、よろこびのあぶらを、あなたのともそそぐよりもおおく、あなたにそそがれた」

い、

1:10 さらに、

しゅよ、あなたははじめに、もといをおすえになった。もろもろのてんも、みのわざである。

1:11 これらのものはほろびてしまうが、あなたは、いつまでもいますかたである。すべてのものはころものようにふるび、

1:12 それらをあなたは、外套がいとうのようにかれる。これらのものは、ころものようにかわるが、あなたは、いつもかわることがなく、あなたのよわいは、きることがない」

ともわれている。

1:13 かみは、御使みつかいたちのだれにたいして、

「あなたのてきを、あなたのあしだいとするときまでは、わたしのみぎしていなさい」
われたことがあるか。

1:14 御使みつかいたちはすべてつかえるれいであって、すくいぐべき人々ひとびと奉仕ほうしするため、つかわされたものではないか。 

第2章 

2:1 こういうわけだから、わたしたちはかされていることを、いっそうつよこころめねばならない。そうでないと、おしながされてしまう。

2:2 というのは、御使みつかいたちをとおしてかたられた御言みことば効力こうりょくち、あらゆる罪過ざいか従順じゅうじゅんとにたいして正当せいとうむくいがくわえられたとすれば、

2:3 わたしたちは、こんなにたっとすくいをなおざりにしては、どうしてむくいをのがれることができようか。このすくいは、はじしゅによってかたられたものであって、いた人々ひとびとからわたしたちにあかしされ、

2:4 さらにかみも、しるしと不思議ふしぎとさまざまなちからあるわざとにより、また、御旨みむねしたが聖霊せいれい各自かくじたまうことによって、あかしをされたのである。

2:5 いったい、かみは、わたしたちがここでかたっているきたるべき世界せかいを、御使みつかいたちに服従ふくじゅうさせることは、なさらなかった。

2:6 聖書せいしょはある箇所かしょで、こうあかししている、

人間にんげん何者なにものだから、これをこころめられるのだろうか。ひと何者なにものだから、これをかえりみられるのだろうか。

2:7 あなたは、しばらくのあいだかれ御使みつかいたちよりもひくものとなし、栄光えいこうとほまれとをかんむりとしてかれあたえ、

2:8 万物ばんぶつをそのあしした服従ふくじゅうさせてくださった」。

万物ばんぶつかれ服従ふくじゅうさせてくださった」という以上いじょう服従ふくじゅうしないものは、なにひとつのこされていないはずである。しかし、いまもなお万物ばんぶつかれ服従ふくじゅうしている事実じじつを、わたしたちはていない。

2:9 ただ、「しばらくのあいだ御使みつかいたちよりもひくものとされた」イエスが、くるしみのゆえに、栄光えいこうとほまれとをかんむりとしてあたえられたのをる。それは、かれかみめぐみによって、すべてのひとのためにあじわわれるためであった。

2:10 なぜなら、万物ばんぶつすべきかた、万物ばんぶつつくられたかたが、おおくのらを栄光えいこうみちびくのに、かれらのすくいきみを、苦難くなんをとおしてまっとうされたのは、かれにふさわしいことであったからである。

2:11 じつに、きよめるかたも、きよめられるものたちも、みなひとりのかたからている。それゆえにしゅは、かれらを兄弟きょうだいぶことをはじとされない。

2:12 すなわち、

「わたしは、御名みなをわたしの兄弟きょうだいたちにらせ、教会きょうかいなかで、あなたをほめうたおう」
い、

2:13 また、

「わたしは、かれによりたのむ」、
また、
よ、わたしと、かみがわたしにたまわったらとは」
われた。

2:14 このように、たちはにくとにともにあずかっているので、イエスもまた同様どうように、それらをそなえておられる。それは、ちからもの、すなわち悪魔あくまを、ご自分じぶんによってほろぼし、

2:15 恐怖きょうふのためにいっ生涯しょうがい奴隷どれいとなっていたものたちを、はなつためである。

2:16 たしかに、かれ天使てんしたちをたすけることはしないで、アブラハムの子孫しそんたすけられた。

2:17 そこで、イエスは、かみのみまえにあわれみぶか忠実ちゅうじつ大祭司だいさいしとなって、たみつみをあがなうために、あらゆるてんにおいて兄弟きょうだいたちとおなじようにならねばならなかった。

2:18 しゅ自身じしん試錬しれんけてくるしまれたからこそ、試錬しれんなかにあるものたちをたすけることができるのである。 

第3章 

3:1 そこで、てんしにあずかっているせいなる兄弟きょうだいたちよ。あなたがたは、わたしたちが告白こくはくする信仰しんこう使者ししゃまた大祭司だいさいしなるイエスを、おもいみるべきである。

3:2 かれは、モーセがかみいえ全体ぜんたいたいして忠実ちゅうじつであったように、自分じぶんてたかたにたいして忠実ちゅうじつであられた。

3:3 おおよそ、いえつくものいえそのものよりもさらにたっとばれるように、かれは、モーセ以上いじょうに、おおいなる光栄こうえいけるにふさわしいものとされたのである。

3:4 いえはすべて、だれかによってつくられるものであるが、すべてのものをつくられたかたは、かみである。

3:5 さて、モーセは、のちかたらるべきことがらについてあかしをするために、つかえるものとして、かみいえ全体ぜんたいたいして忠実ちゅうじつであったが、

3:6 キリストは御子みことして、かみいえおさめるのに忠実ちゅうじつであられたのである。もしわたしたちが、のぞみの確信かくしんほこりとを最後さいごまでしっかりとつづけるなら、わたしたちはかみいえなのである。

3:7 だから、聖霊せいれいっているように、

「きょう、あなたがたがみこえいたなら、

3:8 荒野あらのにおける試錬しれんに、かみにそむいたときのように、あなたがたのこころを、かたくなにしてはいけない。

3:9 あなたがたの先祖せんぞたちは、そこでわたしをこころみためし、

3:10 しかも、四十ねんあいだわたしのわざをたのである。だから、わたしはその時代じだい人々ひとびとたいして、いきどおってった、かれらのこころは、いつもまよっており、かれらは、わたしのみちみとめなかった。

3:11 そこで、わたしはいかって、かれらをわたしの安息あんそくにはいらせることはしない、とちかった」。

3:12 兄弟きょうだいたちよ。をつけなさい。あなたがたのなかには、あるいは、信仰しんこうわるこころをいだいて、けるかみからはなものがあるかもれない。

3:13 あなたがたのなかに、つみまどわしにおちいって、こころをかたくなにするものがないように、「きょう」といううちに、日々ひびたがいはげましいなさい。

3:14 もし最初さいしょ確信かくしんを、最後さいごまでしっかりとつづけるならば、わたしたちはキリストにあずかるものとなるのである。

3:15 それについて、こうわれている、

「きょう、みこえいたなら、かみにそむいたときのように、あなたがたのこころを、かたくなにしてはいけない」。

3:16 すると、いたのにそむいたのは、だれであったのか。モーセにひきいられて、エジプトからったすべての人々ひとびとではなかったか。

3:17 また、四十ねんあいだかみがいきどおられたのはだれにたいしてであったか。つみおかして、そのかばねを荒野あらのにさらしたものたちにたいしてではなかったか。

3:18 また、かみが、わたしの安息あんそくに、はいらせることはしない、とちかわれたのは、だれにかってであったか。従順じゅうじゅんものかってではなかったか。

3:19 こうして、かれらがはいることのできなかったのは、信仰しんこうのゆえであることがわかる。 

第4章 

4:1 それだから、かみ安息あんそくにはいるべき約束やくそくが、まだ存続そんぞくしているにかかわらず、万一まんいちにも、はいりそこなうものが、あなたがたのなかからることがないように、注意ちゅういしようではないか。

4:2 というのは、かれらとおなじく、わたしたちにも福音ふくいんつたえられているのである。しかし、そのいた御言みことばは、かれらには無益むえきであった。それが、いたものたちに、信仰しんこうによってむすびつけられなかったからである。

4:3 ところが、わたしたちしんじているものは、安息あんそくにはいることができる。それは、

「わたしがいかって、かれらをわたしの安息あんそくに、はいらせることはしないと、ちかったように」
われているとおりである。しかも、みわざははじめに、できがっていた。

4:4 すなわち、聖書せいしょのある箇所かしょで、七日なぬかのことについて、「かみは、七日なぬかにすべてのわざをやめてやすまれた」とわれており、

4:5 またここで、「かれらをわたしの安息あんそくに、はいらせることはしない」とわれている。

4:6 そこで、その安息あんそくにはいる機会きかいが、人々ひとびとになおのこされているのであり、しかも、はじめに福音ふくいんつたえられた人々ひとびとは、従順じゅうじゅんのゆえに、はいることをしなかったのであるから、

4:7 かみは、あらためて、あるを「きょう」としてさだめ、ながときがたってから、さき引用いんようしたとおり、

「きょう、みこえいたなら、あなたがたのこころを、かたくなにしてはいけない」
とダビデをとおしてわれたのである。

4:8 もしヨシュアがかれらをやすませていたとすれば、かみはあとになって、ほかののことについてかたられたはずはない。

4:9 こういうわけで、安息日あんそくにちやすみが、かみたみのためにまだのこされているのである。

4:10 なぜなら、かみ安息あんそくにはいったものは、かみがみわざをやめてやすまれたように、自分じぶんもわざをやすんだからである。

4:11 したがって、わたしたちは、この安息あんそくにはいるように努力どりょくしようではないか。そうでないと、おなじような従順じゅうじゅん悪例あくれいにならって、ちてものるかもしれない。

4:12 というのは、かみことばきていて、ちからがあり、もろのつるぎよりもするどくて、精神せいしん霊魂れいこんと、関節かんせつ骨髄こつづいとをはなすまでにしとおして、こころおもいとこころざしとを見分みわけることができる。

4:13 そして、かみのみまえには、あらわでない造物ぞうぶつはひとつもなく、すべてのものは、かみにははだかであり、あらわにされているのである。このかみたいして、わたしたちはひらきをしなくてはならない。

4:14 さて、わたしたちには、もろもろのてんをとおってかれた大祭司だいさいしなるかみイエスがいますのであるから、わたしたちの告白こくはくする信仰しんこうをかたくまもろうではないか。

4:15 この大祭司だいさいしは、わたしたちのよわさをおもいやることのできないようなかたではない。つみおかされなかったが、すべてのことについて、わたしたちとおなじように試錬しれんわれたのである。

4:16 だから、わたしたちは、あわれみをけ、また、めぐみにあずかって時機じきたすけをけるために、はばかることなくめぐみの御座みざちかづこうではないか。 

第5章 

5:1 大祭司だいさいしなるものはすべて、人間にんげんなかからえらばれて、つみのためにそなものといけにえとをささげるように、人々ひとびとのためにかみつかえるやくにんじられたものである。

5:2 かれ自分じぶん自身じしんよわさをうているので、無知むちまよっている人々ひとびとを、おもいやることができるとともに、

5:3 そのよわさのゆえに、たみのためだけではなく自分じぶん自身じしんのためにも、つみについてささげものをしなければならないのである。

5:4 かつ、だれもこの栄誉えいよあるつとめ自分じぶんるのではなく、アロンの場合ばあいのように、かみしによってけるのである。

5:5 同様どうように、キリストもまた、大祭司だいさいし栄誉えいよ自分じぶんたのではなく、

「あなたこそは、わたしのきょう、わたしはあなたをんだ」
われたかたから、おけになったのである。

5:6 また、ほかの箇所かしょでこうわれている、

「あなたこそは、永遠えいえんに、メルキゼデクにひとしい祭司さいしである」。

5:7 キリストは、そのにく生活せいかつときには、はげしいさけびとなみだとをもって、ご自分じぶんからすくちからのあるかたに、いのりねがいとをささげ、そして、そのふか信仰しんこうのゆえにきいれられたのである。

5:8 かれ御子みこであられたにもかかわらず、さまざまのくるしみによって従順じゅうじゅんまなび、

5:9 そして、まったものとされたので、かれ従順じゅうじゅんであるすべてのひとたいして、永遠えいえんすくいみなもととなり、

5:10 かみによって、メルキゼデクにひとしい大祭司だいさいしと、となえられたのである。

5:11 このことについては、いたいことがたくさんあるが、あなたがたのみみにぶくなっているので、それをかすことはむずかしい。

5:12 あなたがたは、ひさしい以前いぜんからすでに教師きょうしとなっているはずなのに、もう一かみことば初歩しょほを、ひとからほどきしてもらわねばならない始末しまつである。あなたがたはかた食物しょくもつではなく、ちち必要ひつようとしている。

5:13 すべてちちんでいるものは、おさなのだから、言葉ことばあじわうことができない。

5:14 しかし、かた食物しょくもつは、善悪ぜんあくわける感覚かんかく実際じっさいはたらかせて訓練くんれんされた成人せいじんのとるべきものである。 

第6章 

6:1 そういうわけだから、わたしたちは、キリストのおしえ初歩しょほをあとにして、完成かんせいざしてすすむもうではないか。いまさら、んだおこないの悔改くいあらためとかみへの信仰しんこう

6:2 あらいごとについてのおしえ按手あんしゅ死人しにん復活ふっかつ永遠えいえんのさばき、などの基本きほんおしえをくりかえしまなぶことをやめようではないか。

6:3 かみゆるしをて、そうすることにしよう。

6:4 いったん、ひかりけててんよりの賜物たまものあじわい、聖霊せいれいにあずかるものとなり、

6:5 また、かみきみ言葉ことばと、きたるべきちからとをあじわったものたちが、

6:6 そののち堕落だらくした場合ばあいには、またもやかみ御子みこを、みずか十字架じゅうじかにつけて、さらしものにするわけであるから、ふたたび悔改くいあらためにたちかえることは不可能ふかのうである。

6:7 たとえば、土地とちが、そのうえにたびたびあめこんで、たがや人々ひとびと役立やくだ作物さくもつそだてるなら、かみ祝福しゅくふくにあずかる。

6:8 しかし、いばらやあざみをはえさせるなら、それは無用むようになり、やがてのろわれ、ついにはかれてしまう。

6:9 しかし、あいするものたちよ。こうはうものの、わたしたちは、すくいにかかわるさらいことがあるのを、あなたがたについて確信かくしんしている。

6:10 かみ不義ふぎなかたではないから、あなたがたのはたらきや、あなたがたがかつて聖徒せいとつかえ、いまもなおつかえて、御名みなのためにしめしてくれたあいを、おわすれになることはない。

6:11 わたしたちは、あなたがたがひとりのこらず、最後さいごまでのぞみをちつづけるためにも、おな熱意ねついしめし、

6:12 おこたることがなく、信仰しんこう忍耐にんたいとをもって約束やくそくのものを人々ひとびと見習みならものとなるように、とねがってやまない。

6:13 さて、かみがアブラハムにたいして約束やくそくされたとき、さしてちかうのに、ご自分じぶんよりもうえのものがないので、ご自分じぶんをさしてちかって、

6:14 「わたしは、かならずあなたを祝福しゅくふくし、かならずあなたの子孫しそんをふやす」とわれた。

6:15 このようにして、アブラハムは忍耐にんたいづよったので、約束やくそくのものをたのである。

6:16 いったい、人間にんげん自分じぶんよりうえのものをさしてちかうのであり、そして、そのちかいはすべての反対はんたいろんふうじる保証ほしょうとなるのである。

6:17 そこで、かみは、約束やくそくのものを人々ひとびとに、ご計画けいかく不変ふへんであることを、いっそうはっきりしめそうとおもわれ、ちかいによって保証ほしょうされたのである。

6:18 それは、いつわることのありないかみてられた二つの不変ふへんことがらによって、まえにおかれているのぞみをとらえようとしてをのがれてきたわたしたちが、力強ちからづよはげましをけるためである。

6:19 こののぞみは、わたしたちにとって、いわば、たましいを安全あんぜんにし不動ふどうにするいかりであり、かつ「まくうち」にはいりかせるものである。

6:20 そのまくうちに、イエスは、永遠えいえんにメルキゼデクにひとしい大祭司だいさいしとして、わたしたちのためにさきがけとなって、はいられたのである。 

第7章 

7:1 このメルキゼデクはサレムのおうであり、いとたかかみ祭司さいしであったが、おうたちを撃破げきはしてかえるアブラハムをむかえて祝福しゅくふくし、

7:2 それにたいして、アブラハムはかれにすべてのものの十ぶんの一をあたえたのである。その意味いみは、だい一におうつぎにまたサレムのおう、すなわち平和へいわおうである。

7:3 かれにはちちがなく、ははがなく、系図けいずがなく、生涯しょうがいはじめもなく、生命せいめいおわりもなく、かみのようであって、いつまでも祭司さいしなのである。

7:4 そこで、族長ぞくちょうのアブラハムがもっともよいぶんどりひんの十ぶんの一をあたえたのだから、このひとがどんなにすぐれた人物じんぶつであったかが、あなたがたにわかるであろう。

7:5 さて、レビののうちで祭司さいしつとめをしているものたちは、兄弟きょうだいであるたみから、おなじくアブラハムの子孫しそんであるにもかかわらず、十ぶんの一をるように、律法りっぽうによってめいじられている。

7:6 ところが、かれらの血統けっとうぞくさないこのひとが、アブラハムから十ぶんの一をけとり、約束やくそくけているもの祝福しゅくふくしたのである。

7:7 うまでもなく、しょうなるものおおなるものから祝福しゅくふくけるのである。

7:8 そのうえ一方いっぽうではぬべき人間にんげんが、十ぶんの一をけているが、他方たほうでは「かれきているもの」とあかしされたひとが、それをけている。

7:9 そこで、十ぶんの一をけるべきレビでさえも、アブラハムをつうじて十ぶんの一をおさめた、とえる。

7:10 なぜなら、メルキゼデクがアブラハムをむかえたときには、レビはまだこの父祖ふそこしなかにいたからである。

7:11 もしまっとうされることがレビけい祭司さいしせいによって可能かのうであったら――たみ祭司さいしせいもと律法りっぽうあたえられたのであるが――なんの必要ひつようがあって、なお、「アロンにひとしい」とばれない、べつな「メルキゼデクにひとしい」祭司さいしてられるのであるか。

7:12 祭司さいしせい変更へんこうがあれば、律法りっぽうにもかなら変更へんこうがあるはずである。

7:13 さて、これらのことは、いまだかつて祭壇さいだん奉仕ほうししたことのない、部族ぶぞくかんしてわれているのである。

7:14 というのは、わたしたちのしゅがユダぞくなかからられたことは、あきらかであるが、モーセは、この部族ぶぞくについて、祭司さいしかんすることでは、ひとこともっていない。

7:15 そしてこのことは、メルキゼデクと同様どうような、ほかの祭司さいしてられたことによって、ますます明白めいはくになる。

7:16 かれは、にくにつけるいましめの律法りっぽうによらないで、ちることのないいのちのちからによっててられたのである。

7:17 それについては、聖書せいしょに「あなたこそは、永遠えいえんに、メルキゼデクにひとしい祭司さいしである」とあかしされている。

7:18 このようにして、一方いっぽうでは、まえいましめがよわくかつ無益むえきであったために無効むこうになるとともに、

7:19 (律法りっぽうは、何事なにごとをもまっとうしなかったからである)、他方たほうでは、さらにすぐれたのぞみがあらわれてきて、わたしたちをかみちかづかせるのである。

7:20 そのうえに、このことはちかいをもってなされた。人々ひとびとは、ちかいをしないで祭司さいしとされるのであるが、

7:21 このひと場合ばあいは、つぎのようなちかいをもってされたのである。すなわち、かれについて、こうわれている、「しゅちかわれたが、こころえることをされなかった。あなたこそは、永遠えいえん祭司さいしである」。

7:22 このようにして、イエスはさらにすぐれた契約けいやく保証ほしょうとなられたのである。

7:23 かつ、ということがあるために、つとめつづけることができないので、おおくの人々ひとびと祭司さいしてられるのである。

7:24 しかしかれは、永遠えいえんにいますかたであるので、かわらない祭司さいしつとめちつづけておられるのである。

7:25 そこでまた、かれは、いつもきていてかれらのためにとりなしておられるので、かれによってかみ人々ひとびとを、いつもすくうことができるのである。

7:26 このように、せいにして、あくけがれもなく、罪人つみびととは区別くべつされ、かつ、もろもろのてんよりもたかくされている大祭司だいさいしこそ、わたしたちにとってふさわしいかたである。

7:27 かれは、ほかの大祭司だいさいしのように、まず自分じぶんつみのため、つぎたみつみのために、日々ひび、いけにえをささげる必要ひつようはない。なぜなら、自分じぶんをささげて、一だけ、それをされたからである。

7:28 律法りっぽうは、よわさを人間にんげんてて大祭司だいさいしとするが、律法りっぽうのちにきたちかいの御言みことばは、永遠えいえんまっとうされた御子みこてて、大祭司だいさいしとしたのである。 

第8章 

8:1 以上いじょうべたことの要点ようてんは、このような大祭司だいさいしがわたしたちのためにおられ、てんにあって大能者たいのうしゃ御座みざみぎし、

8:2 人間にんげんによらずしゅによってもうけられたしん幕屋まくやなる聖所せいじょつかえておられる、ということである。

8:3 おおよそ、大祭司だいさいしてられるのは、そなものやいけにえをささげるためにほかならない。したがって、この大祭司だいさいしもまた、なにかささぐべきものっておられねばならない。

8:4 そこで、もしかれ地上ちじょうにおられたなら、律法りっぽうにしたがってそなものをささげる祭司さいしたちが、げんにいるのだから、かれ祭司さいしではありなかったであろう。

8:5 かれらは、てんにある聖所せいじょのひながたかげとにつかえているものにすぎない。それについては、モーセが幕屋まくやてようとしたとき、げをけ、「やましめされたかたどおりに、注意ちゅういしてそのいっさいをつくりなさい」とわれたのである。

8:6 ところがキリストは、はるかにすぐれたつとめられたのである。それは、さらにまさった約束やくそくもとづいててられた、さらにまさった契約けいやく仲保者ちゅうほしゃとなられたことによる。

8:7 もしはじめの契約けいやくけたところがなかったなら、あとのものがてられる余地よちはなかったであろう。

8:8 ところが、かみかれらをめてわれた、

しゅわれる、よ、わたしがイスラエルのいえおよびユダのいえと、あたらしい契約けいやくむする。

8:9 それは、わたしがかれらの先祖せんぞたちのをとって、エジプトのからみちしたに、かれらとむすんだ契約けいやくのようなものではない。かれらがわたしの契約けいやくにとどまることをしないので、わたしもかれらをかえりみなかったからであると、しゅわれる。

8:10 わたしが、それらののち、イスラエルのいえてようとする契約けいやくはこれである、としゅわれる。すなわち、わたしの律法りっぽうかれらのおもいのなかれ、かれらのこころきつけよう。こうして、わたしはかれらのかみとなり、かれらはわたしのたみとなるであろう。

8:11 かれらは、それぞれ、その同胞どうほうに、また、それぞれ、その兄弟きょうだいに、しゅれ、とっておしえることはなくなる。なぜなら、おおなるものからしょうなるものいたるまで、かれらはことごとく、わたしをるようになるからである。

8:12 わたしは、かれらの不義ふぎをあわれみ、もはや、かれらのつみおもすことはしない」。

8:13 かみは、「あたらしい」とわれたことによって、はじめの契約けいやくふるいとされたのである。としふるびたものは、やがてえていく。 

第9章 

9:1 さて、はじめの契約けいやくにも、礼拝れいはいについてのさまざまな規定きていと、地上ちじょう聖所せいじょとがあった。

9:2 すなわち、まず幕屋まくやもうけられ、そのまえ場所ばしょには燭台しょくだいつくえそなえのパンとがかれていた。これが、聖所せいじょばれた。

9:3 まただい二のまくのちに、べつ場所ばしょがあり、それは至聖所しせいじょばれた。

9:4 そこにはきんこうだん全面ぜんめんきんでおおわれた契約けいやくはことがかれ、そのなかにはマナのはいっているきんのつぼと、したアロンのつえと、契約けいやく石板いしいたとがれてあり、

9:5 はこうえには栄光えいこうかがやくケルビムがあって、贖罪所しょくざいしょをおおっていた。これらのことについては、いまここで、いちいちべることができない。

9:6 これらのものが、以上いじょうのようにととのえられたうえで、祭司さいしたちはつね幕屋まくやまえ場所ばしょにはいって礼拝れいはいをするのであるが、

9:7 幕屋まくやおくには大祭司だいさいしねんに一だけはいるのであり、しかも自分じぶん自身じしんたみとのあやまちのためにささげるをたずさえないでくことはない。

9:8 それによって聖霊せいれいは、前方ぜんぽう幕屋まくや存在そんざいしているかぎり、聖所せいじょにはいるみちはまだひらかれていないことを、あきらかにしめしている。

9:9 この幕屋まくやというのはいま時代じだいたいする比喩ひゆである。すなわち、そなものやいけにえはささげられるが、儀式ぎしきにたずさわるもの良心りょうしんまっとうすることはできない。

9:10 それらは、ただ食物しょくもつもの種々しゅじゅあらいごとにかんする行事ぎょうじであって、改革かいかくときまでせられているにく規定きていにすぎない。

9:11 しかしキリストがすでにあらわれた祝福しゅくふく大祭司だいさいしとしてこられたとき、つくられず、この界にぞくさない、さらにおおきく、完全かんぜん幕屋まくやをとおり、

9:12 かつ、やぎとうしとのによらず、ご自身じしんによって、一だけ聖所せいじょにはいられ、それによって永遠えいえんのあがないをまっとうされたのである。

9:13 もし、やぎやうし雌牛めうしはいが、けがれたひとたちのうえにまきかけられて、肉体にくたいをきよめせいべつするとすれば、

9:14 永遠えいえん聖霊せいれいによって、ご自身じしんきずなきものとしてかみにささげられたキリストのは、なおさら、わたしたちの良心りょうしんをきよめてんだわざをのぞき、けるかみつかえるものとしないであろうか。

9:15 それだから、キリストはあたらしい契約けいやく仲保者ちゅうほしゃなのである。それは、かれはじめの契約けいやくのもとでおかした罪過ざいかをあがなうためになれた結果けっかされたものたちが、約束やくそくされた永遠えいえんくにぐためにほかならない。

9:16 いったい、遺言ゆいごんには、遺言者ゆいごんしゃ証明しょうめい必要ひつようである。

9:17 遺言ゆいごんによってのみその効力こうりょくしょうじ、遺言者ゆいごんしゃきているあいだは、効力こうりょくがない。

9:18 だから、はじめの契約けいやくも、ながすことなしに成立せいりつしたのではない。

9:19 すなわち、モーセが、律法りっぽうしたがってすべてのいましめをたみ全体ぜんたい宣言せんげんしたとき、みず赤色あかいろ羊毛ようもうとヒソプとのほかに、うしとやぎとのって、契約けいやくしょたみ全体ぜんたいとにふりかけ、

9:20 そして、「これは、かみがあなたがたにたいしててられた契約けいやくである」とった。

9:21 かれはまた、幕屋まくや儀式ぎしきよう器具きぐいっさいにも、同様どうようをふりかけた。

9:22 こうして、ほとんどすべてのものが、律法りっぽうしたがい、によってきよめられたのである。ながすことなしには、つみのゆるしはありない。

9:23 このように、てんにあるもののひながたは、これらのものできよめられる必要ひつようがあるが、てんにあるものは、これらよりさらにすぐれたいけにえで、きよめられねばならない。

9:24 ところが、キリストは、ほんとうのものの模型もけいにすぎない、つくった聖所せいじょにはいらないで、うえなるてんにはいり、いまやわたしたちのためにかみのみまえにくださったのである。

9:25 大祭司だいさいしは、としごとに、自分じぶん以外いがいのもののをたずさえて聖所せいじょにはいるが、キリストは、そのように、たびたびご自身じしんをささげられるのではなかった。

9:26 もしそうだとすれば、はじめから、たびたび苦難くなんけねばならなかったであろう。しかし事実じじつ、ご自身じしんをいけにえとしてささげてつみのぞくために、おわりに、一だけあらわれたのである。

9:27 そして、一だけぬことと、んだのちさばきをけることとが、人間にんげんさだまっているように、

9:28 キリストもまた、おおくのひとつみうために、一だけご自身じしんをささげられたのちかれのぞんでいる人々ひとびとに、つみうためではなしに二度目どめあらわれて、すくいあたえられるのである。 

第10章 

10:1 いったい、律法りっぽうはきたるべきいことのかげをやどすにすぎず、そのもののしんのかたちをそなえているものではないから、としごとにきつづきささげられるおなじようないけにえによっても、みまえにちかづいてものたちを、まっとうすることはできないのである。

10:2 もしできたとすれば、儀式ぎしきにたずさわるものたちは、一きよめられた以上いじょう、もはやつみ自覚じかくがなくなるのであるから、ささげものをすることがやんだはずではあるまいか。

10:3 しかし実際じっさいは、としごとに、いけにえによってつみおもがよみがえってるのである。

10:4 なぜなら、うしややぎなどのは、つみのぞることができないからである。

10:5 それだから、キリストがこのにこられたとき、つぎのようにわれた、

「あなたは、いけにえやささげもののぞまれないで、わたしのために、からだをそなえてくださった。

10:6 あなたは燔祭はんさい罪祭ざいさいこのまれなかった。

10:7 そのとき、わたしはった、かみよ、わたしにつき、巻物まきもの書物しょもついてあるとおり、よ、御旨みむねおこなうためにまいりました』」。

10:8 ここで、はじめに、「あなたは、いけにえとささげもの燔祭はんさい罪祭ざいさいと(すなわち、律法りっぽうしたがってささげられるもの)をのぞまれず、このまれもしなかった」とあり、

10:9 つぎに、「よ、わたしは御旨みむねおこなうためにまいりました」とある。すなわち、かれは、のちのものをてるために、はじめのものを廃止はいしされたのである。

10:10 この御旨みむねもとづきただ一イエス・キリストのからだがささげられたことによって、わたしたちはきよめられたのである。

10:11 こうして、すべての祭司さいしってごとに儀式ぎしきおこない、たびたびおなじようないけにえをささげるが、それらはけっしてつみのぞることはできない。

10:12 しかるに、キリストはおおくのつみのために一つの永遠えいえんのいけにえをささげたのちかみみぎし、

10:13 それから、てきをそのあしだいとするときまで、っておられる。

10:14 かれは一つのささげものによって、きよめられたものたちを永遠えいえんまっとうされたのである。

10:15 聖霊せいれいもまた、わたしたちにあかしをして、

10:16 「わたしが、それらののちかれらにたいしててようとする契約けいやくはこれであると、しゅわれる。わたしの律法りっぽうかれらのこころあたえ、かれらのおもいのうちにきつけよう」

い、

10:17 さらに、「もはや、かれらのつみかれらの不法ふほうとを、おもすことはしない」とべている。

10:18 これらのことにたいするゆるしがある以上いじょうつみのためのささげものは、もはやありない。

10:19 兄弟きょうだいたちよ。こういうわけで、わたしたちはイエスのによって、はばかることなく聖所せいじょにはいることができ、

10:20 かれ肉体にくたいなるまくをとおり、わたしたちのためにひらいてくださったあたらしいきたみちをとおって、はいってくことができるのであり、

10:21 さらに、かみいえおさめるおおいなる祭司さいしがあるのだから、

10:22 こころはすすがれて良心りょうしんのとがめをり、からだはきよみずあらわれ、まごころをもって信仰しんこう確信かくしんたされつつ、みまえにちかづこうではないか。

10:23 また、約束やくそくをしてくださったのは忠実ちゅうじつなかたであるから、わたしたちの告白こくはくするのぞみを、うごくことなくしっかりとつづけ、

10:24 あい善行ぜんこうとをはげむようにたがいつとめ、

10:25 あるひとたちがいつもしているように、集会しゅうかいをやめることはしないでたがいはげまし、かのちかづいているのをて、ますます、そうしようではないか。

10:26 もしわたしたちが、真理しんり知識ちしきけたのちにもなお、ことさらにつみおかしつづけるなら、つみのためのいけにえは、もはやありない。

10:27 ただ、さばきと、さからうものたちをきつくすはげしいとを、おそれつつつことだけがある。

10:28 モーセの律法りっぽう無視むしするものが、あわれみをけることなしに、二、三のひと証言しょうげんもとづいて死刑しけいしょせられるとすれば、

10:29 かみみつけ、自分じぶんがきよめられた契約けいやくけがれたものとし、さらにめぐみの御霊みたまあなどものは、どんなにかおも刑罰けいばつあたいすることであろう。

10:30 「復讐ふくしゅうはわたしのすることである。わたし自身じしん報復ほうふくする」とわれ、また「しゅはそのたみをさばかれる」とわれたかたを、わたしたちはっている。

10:31 けるかみのみのうちにちるのは、おそろしいことである。

10:32 あなたがたは、ひかりてらされたのち、くるしいおおきなたたかいによくえたはじめのころのことを、おもしてほしい。

10:33 そしられくるしめられてものにされたこともあれば、このようなめにった人々ひとびと仲間なかまにされたこともあった。

10:34 さらにごくれられた人々ひとびとおもいやり、また、もっとまさった永遠えいえんたからっていることをって、自分じぶん財産ざいさんうばわれてもよろこんでそれをしのんだ。

10:35 だから、あなたがたは自分じぶんっている確信かくしん放棄ほうきしてはいけない。その確信かくしんにはおおきなむくいがともなっているのである。

10:36 かみ御旨みむねおこなって約束やくそくのものをけるため、あなたがたに必要ひつようなのは、忍耐にんたいである。

10:37 「もうしばらくすれば、きたるべきかたがおえになる。おそくなることはない。

10:38 わが義人ぎじんは、信仰しんこうによってきる。もし信仰しんこうてるなら、わたしのたましいはこれをよろこばない」。

10:39 しかしわたしたちは、信仰しんこうててほろびるものではなく、信仰しんこうって、いのちをものである。 

第11章 

11:1 さて、信仰しんこうとは、のぞんでいることがらを確信かくしんし、まだていない事実じじつ確認かくにんすることである。

11:2 むかしひとたちは、この信仰しんこうのゆえに賞賛しょうさんされた。

11:3 信仰しんこうによって、わたしたちは、この界がかみ言葉ことば つくられたのであり、したがって、えるものはあらわれているものからてきたのでないことを、さとるのである。

11:4 信仰しんこうによって、アベルはカインよりもまさったいけにえをかみにささげ、信仰しんこうによってなるものみとめられた。かみが、かれそなものをよしとされたからである。かれんだが、信仰しんこうによっていまもなおかたっている。

11:5 信仰しんこうによって、エノクはないようにてんうつされた。かみがおうつしになったので、かれえなくなった。かれうつされるまえに、かみよろこばれたものと、あかしされていたからである。

11:6 信仰しんこうがなくては、かみよろこばれることはできない。なぜなら、かみものは、かみのいますことと、ご自身じしんもとめるものむくいてくださることとを、かならしんじるはずだからである。

11:7 信仰しんこうによって、ノアはまだていないことがらについてげをけ、おそれかしこみつつ、その家族かぞくすくうために箱舟はこぶねつくり、その信仰しんこうによってつみをさばき、そして、信仰しんこうによるものとなった。

11:8 信仰しんこうによって、アブラハムは、ぐべきけとのしをこうむったとき、それにしたがい、さきらないでった。

11:9 信仰しんこうによって、他国たこくにいるようにして約束やくそく宿やどり、おな約束やくそくぐイサク、ヤコブとともに、幕屋まくやんだ。

11:10 かれは、ゆるがぬ土台どだいうえてられたみやこを、のぞんでいたのである。そのみやこをもくろみ、またてたのは、かみである。

11:11 信仰しんこうによって、サラもまた、年老としおいていたが、たね宿やどちからあたえられた。約束やくそくをなさったかたは真実しんじつであると、しんじていたからである。

11:12 このようにして、ひとりのんだと同様どうようひとから、てんほしのように、うみべのかぞえがたいすなのように、おびただしいひとうまれてきたのである。

11:13 これらのひとはみな、信仰しんこうをいだいてんだ。まだ約束やくそくのものはけていなかったが、はるかにそれをのぞよろこび、そして、地上ちじょうでは旅人たびびとであり寄留者きりゅうしゃであることを、みずかいあらわした。

11:14 そういあらわすことによって、かれらがふるさとをもとめていることをしめしている。

11:15 もしそのてきたところのことをかんがえていたなら、かえ機会きかいはあったであろう。

11:16 しかし実際じっさいかれらがのぞんでいたのは、もっとい、てんにあるふるさとであった。だからかみは、かれらのかみばれても、それをはじとはされなかった。事実じじつかみかれらのために、みやこ用意よういされていたのである。

11:17 信仰しんこうによって、アブラハムは、試錬しれんけたとき、イサクをささげた。すなわち、約束やくそくけていたかれが、そのひとりをささげたのである。

11:18 このについては、「イサクからものが、あなたの子孫しそんばれるであろう」とわれていたのであった。

11:19 かれは、かみ死人しにんなかからひとをよみがえらせるちからがある、としんじていたのである。だからかれは、いわば、イサクをきかえしてわたされたわけである。

11:20 信仰しんこうによって、イサクは、きたるべきことについて、ヤコブとエサウとを祝福しゅくふくした。

11:21 信仰しんこうによって、ヤコブはのまぎわに、ヨセフのらをひとりびとり祝福しゅくふくし、そしてそのつえのかしらによりかかって礼拝れいはいした。

11:22 信仰しんこうによって、ヨセフはその臨終りんじゅうに、イスラエルのらのくことをおもい、自分じぶんほねのことについてさしずした。

11:23 信仰しんこうによって、モーセのうまれたとき、両親りょうしんは、三かげつのあいだかれかくした。それは、かれらが子供こどものうるわしいのをたからである。かれらはまた、おう命令めいれいをもおそれなかった。

11:24 信仰しんこうによって、モーセは、成人せいじんしたとき、パロのむすめわれることをこばみ、

11:25 つみのはかない歓楽かんらくにふけるよりは、むしろかみたみとも虐待ぎゃくたいされることをえらび、

11:26 キリストのゆえにけるそしりを、エジプトのたからにまさるとみかんがえた。それは、かれむくいをのぞていたからである。

11:27 信仰しんこうによって、かれおういきどおりをもおそれず、エジプトをった。かれは、えないかたをているようにして、しのびとおした。

11:28 信仰しんこうによって、ほろぼすものが、長子ちょうしらにくだすことのないように、かれ過越すぎこしおこなった。

11:29 信仰しんこうによって、人々ひとびと紅海こうかいをかわいた土地とちをとおるようにわたったが、おなじことをくわだてたエジプトじんはおぼれんだ。

11:30 信仰しんこうによって、エリコの城壁じょうへきは、七日なぬかにわたってまわったために、くずれおちた。

11:31 信仰しんこうによって、遊女ゆうじょラハブは、さぐりにきたものたちをおだやかにむかえたので、従順じゅうじゅんものどもと一緒いっしょほろびることはなかった。

11:32 このほか、なにおうか。もしギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエルおよ預言者よげんしゃたちについてかたすなら、時間じかんりないであろう。

11:33 かれらは信仰しんこうによって、国々くにぐに征服せいふくし、おこない、約束やくそくのものをけ、ししのくちをふさぎ、

11:34 いきおいをし、つるぎのをのがれ、よわいものはつよくされ、たたかいの勇者ゆうしゃとなり、他国たこくぐん退しりぞかせた。

11:35 おんなたちは、その死者ししゃたちをよみがえらさせてもらった。ほかのものは、さらにまさったいのちによみがえるために、拷問ごうもんくるしみにあまんじ、放免ほうめんされることをねがわなかった。

11:36 なおほかのものたちは、あざけられ、むちたれ、しばりげられ、投獄とうごくされるほどのめにった。

11:37 あるいは、いしたれ、さいなまれ、のこぎりでかれ、つるぎでころされ、ひつじかわや、やぎのかわあるきまわり、無一物むいちもつになり、なやまされ、くるしめられ、

11:38 (このかれらのところではなかった)、荒野あらのやまなかいわあなつちあなとを、さまよいつづけた。

11:39 さて、これらの人々ひとびとはみな、信仰しんこうによってあかしされたが、約束やくそくのものはけなかった。

11:40 かみはわたしたちのために、さらにいものをあらかじめそなえてくださっているので、わたしたちをほかにしてはかれらがまっとうされることはない。 

第12章 

12:1 こういうわけで、わたしたちは、このようなおおくの証人しょうにんくものようにかこまれているのであるから、いっさいの重荷おもにと、からみつくつみとをかなぐりてて、わたしたちの参加さんかすべき競走きょうそうを、しのんではしりぬこうではないか。

12:2 信仰しんこうみちびであり、またその完成かんせいものであるイエスをあおつつ、はしろうではないか。かれは、自分じぶんまえにおかれているよろこびのゆえに、はじをもいとわないで十字架じゅうじかしのび、かみ御座みざみぎするにいたったのである。

12:3 あなたがたは、よわてて意気いきそそうしないために、罪人つみびとらのこのような反抗はんこうしのんだかたのことを、おもいみるべきである。

12:4 あなたがたは、つみんでたたかとき、まだながすほどの抵抗ていこうをしたことがない。

12:5 またたちにたいするように、あなたがたにかたられたこのすすめの言葉ことばわすれている、

「わたしのよ、しゅ訓練くんれんかろんじてはいけない。しゅめられるとき、よわててはならない。

12:6 しゅあいするもの訓練くんれんし、けいれるすべてのを、むちたれるのである」。

12:7 あなたがたは訓練くんれんとしてしのびなさい。かみはあなたがたを、としてあつかっておられるのである。いったい、ちち訓練くんれんされないがあるだろうか。

12:8 だれでもける訓練くんれんが、あなたがたにあたえられないとすれば、それこそ、あなたがたは私生子しせいじであって、ほんとうのではない。

12:9 そのうえ肉親にくしんちちはわたしたちを訓練くんれんするのに、なおかれをうやまうとすれば、なおさら、わたしたちは、たましいのちち服従ふくじゅうして、しんきるべきではないか。

12:10 肉親にくしんちちは、しばらくのあいだ自分じぶんかんがえにしたがって訓練くんれんあたえるが、たましいのちちは、わたしたちのえきのため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。

12:11 すべての訓練くんれんは、当座とうざは、よろこばしいものとはおもわれず、むしろかなしいものとおもわれる。しかしのちになれば、それによって鍛えきたえられるものに、平安へいあんむすばせるようになる。

12:12 それだから、あなたがたのなえたと、よわくなっているひざとを、まっすぐにしなさい。

12:13 また、あしのなえているものみはずすことなく、むしろいやされるように、あなたがたのあしのために、まっすぐなみちをつくりなさい。

12:14 すべてのひとあいし、また、みずからきよくなるようにつとめなさい。きよくならなければ、だれもしゅることはできない。

12:15 をつけて、かみめぐみからもれることがないように、また、にががはえて、あなたがたをなやまし、それによっておおくのひとけがされることのないようにしなさい。

12:16 また、一杯いっぱいしょくのために長子ちょうし権利けんりったエサウのように、不品行ふひんこう俗悪ぞくあくものにならないようにしなさい。

12:17 あなたがたのっているように、かれはそののち祝福しゅくふくごうとねがったけれども、てられてしまい、なみだながしてそれをもとめたが、悔改くいあらための機会きかいなかったのである。

12:18 あなたがたがちかづいているのは、れることができ、え、黒雲くろくもくらやみやあらしにつつまれ、

12:19 また、ラッパのひびきや、いたものたちがそれ以上いじょうみみにしたくないとねがったような言葉ことばがひびいてきたやまではない。

12:20 そこでは、かれらは、「けものであっても、やまふれたら、いしころされてしまえ」という命令めいれい言葉ことばに、えることができなかったのである。

12:21 その光景こうけいおそろしかったのでモーセさえも、「わたしはおそろしさのあまり、おののいている」とったほどである。

12:22 しかしあなたがたがちかづいているのは、シオンのやまけるかみみやこてんにあるエルサレム、無数むすう天使てんしいわいかい

12:23 てん登録とうろくされている長子ちょうしたちの教会きょうかい万民ばんみん審判者しんぱんしゃなるかみまっとうされた義人ぎじんれい

12:24 あたらしい契約けいやく仲保者ちゅうほしゃイエス、ならびに、アベルのよりも力強ちからづよかたるそそがれたである。

12:25 あなたがたは、かたっておられるかたをこばむことがないように、注意ちゅういしなさい。もし地上ちじょう御旨みむねげたものこばんだ人々ひとびとが、ばつをのがれることができなかったなら、てんからしめすかたを退しりぞけるわたしたちは、なおさらそうなるのではないか。

12:26 あのときには、こえふるわせた。しかしいまは、約束やくそくしてわれた、「わたしはもう一ばかりでなくてんをもふるわそう」。

12:27 この「もう一」という言葉ことばは、ふるわれないものがのこるために、ふるわれるものが、 つくられたものとしてのぞかれることをしめしている。

12:28 このように、わたしたちはふるわれないくにけているのだから、感謝かんしゃをしようではないか。そして感謝かんしゃしつつ、おそれかしこみ、かみよろこばれるように、つかえていこう。

12:29 わたしたちのかみは、じつに、きつくすである。 

第13章 

13:1 兄弟きょうだいあいつづけなさい。

13:2 旅人たびびとをもてなすことをわすれてはならない。このようにして、ある人々ひとびとは、づかないで御使みつかいたちをもてなした。

13:3 ごくにつながれているひとたちを、自分じぶん一緒いっしょにつながれている心持こころもちおもいやりなさい。また、自分じぶんおな肉体にくたいにあるものだから、くるしめられているひとたちのことを、こころにとめなさい。

13:4 すべてのひとは、結婚けっこんおもんずべきである。また寝床ねどこけがしてはならない。かみは、不品行ふひんこうもの姦淫かんいんをするものをさばかれる。

13:5 金銭きんせんあいすることをしないで、自分じぶんっているもので満足まんぞくしなさい。しゅは、「わたしは、けっしてあなたをはなれず、あなたをてない」とわれた。

13:6 だから、わたしたちは、はばからずにおう、

しゅはわたしのたすぬしである。わたしにはおそれはない。ひとは、わたしになにができようか」。

13:7 かみことばをあなたがたにかたった指導者しどうしゃたちのことを、いつもおもおこしなさい。かれらの生活せいかつ最後さいごて、その信仰しんこうにならいなさい。

13:8 イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでもかわることがない。

13:9 さまざまなちがったおしえによって、まよわされてはならない。食物しょくもつによらず、めぐみによって、こころつよくするがよい。食物しょくもつによってあるいたものは、えきることがなかった。

13:10 わたしたちには一つの祭壇さいだんがある。幕屋まくやつかえているものたちは、その祭壇さいだん食物しょくもつをたべる権利けんりはない。

13:11 なぜなら、大祭司だいさいしによってつみのためにささげられるけもののは、聖所せいじょのなかにたずさえてかれるが、そのからだは、営所えいしょそとかれてしまうからである。

13:12 だから、イエスもまた、ご自分じぶんたみをきよめるために、もんそと苦難くなんけられたのである。

13:13 したがって、わたしたちも、かれのはずかしめをい、営所えいしょそとて、みもとにこうではないか。

13:14 この地上ちじょうには、永遠えいえんみやこはない。きたらんとするみやここそ、わたしたちのもとめているものである。

13:15 だから、わたしたちはイエスによって、さんびのいけにえ、すなわち、かれ御名みなをたたえるくちびるのを、たえずかみにささげようではないか。

13:16 そして、ぜんおこなうこととほどこしをすることとを、わすれてはいけない。かみは、このようないけにえをよろこばれる。

13:17 あなたがたの指導者しどうしゃたちのうことをきいれて、したがいなさい。かれらは、かみいひらきをすべきものとして、あなたがたのたましいのために、をさましている。かれらがなげかないで、よろこんでこのことをするようにしなさい。そうでないと、あなたがたのえきにならない。

13:18 わたしたちのために、いのってほしい。わたしたちはあきらかな良心りょうしんっているとしんじており、何事なにごとについても、ただしく行動こうどうしようとねがっている。

13:19 わたしがあなたがたのところはやかえれるため、いのってくれるように、とくにおねがいする。

13:20 永遠えいえん契約けいやくによるひつじ大牧者だいぼくしゃ、わたしたちのしゅイエスを、死人しにんなかからげられた平和へいわかみが、

13:21 イエス・キリストによって、みこころにかなうことをわたしたちにしてくださり、あなたがたが御旨みむねおこなうために、すべてのきものをそなえてくださるようにこいねがう。栄光えいこうが、世々よよかぎりなくかみにあるように、アァメン。

13:22 兄弟きょうだいたちよ。どうかわたしのすすめの言葉ことばけいれてほしい。わたしは、ただみじかにいたのだから。

13:23 わたしたちの兄弟きょうだいテモテがゆるされたことを、おらせする。もしかれはやれば、かれ一緒いっしょにわたしはあなたがたにえるだろう。

13:24 あなたがたの指導者しどうしゃ一同いちどう聖徒せいとたち一同いちどうに、よろしくつたえてほしい。イタリヤからきた人々ひとびとから、あなたがたによろしく。

13:25 めぐみが、あなたがた一同いちどうにあるように。